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江戸時代に免疫治療を行った“世直し大明神”・江川太郎左衛門をご存じですか?瀬田クリニック東京 コンシェルジュスタッフブログ②

2018年6月27日

みなさんこんにちは。
瀬田クリニック東京コンシェルジュスタッフブログです。

梅雨入りし、一雨ごとに紫陽花がきれいに色づく時季。
紫陽花をめでる散策へ行きたいと思う今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今日は以前ご紹介した江川太郎左衛門について少しお話させていただきたいと思います。

皆さんは、この「江川太郎左衛門」という人物をご存知ですか?
この人物は、幕末、幕府の代官として東京湾に台場を築いたり、反射炉(溶鉱炉)を作って銃砲製造を行ったりしたことで名高い人物ですが、それだけではありません。当時の難病と言われた天然痘(てんねんとう)に対し、種痘という当時の先端的な予防医療でその撲滅に挑んだ人物なのです。

江川太郎左衛門 重要文化財・江川邸HPより

江川太郎左衛門
重要文化財・江川邸HPより

そして、当院の創設者である江川滉二東大名誉教授は、なんと、その江川太郎左衛門の子孫にあたる方なのです。江川家の第36代当主がこの江川太郎左衛門であり、そして、第41代当主が江川滉二東大名誉教授です。

江戸時代と現代、時代は違えども、医療に力を注いできた江川家の二人。
今日は、そんな江川太郎左衛門のお話をさせていただきます。

 難病に免疫の力で立ち向かった江川太郎左衛門

世直し大明神と言われた幕府代官・江川太郎左衛門。
幕府代官として国防に関する業績が注目されていますが、中でも見逃せないのが、先ほども紹介したとおり、天然痘に対する予防法の普及です。

天然痘は、罹患した場合の死亡率も高い伝染病で人々から非常に恐れられていました。当時の予防法としては、「種痘」(しゅとう)という手法が有効とされていました。種痘とは、もともと牛の病気である痘瘡(牛痘)に感染した者が、天然痘に対して免疫を持つことに気づいたことから開発された方法で、牛痘に感染した牛から取り出したウィルスを人間に接種することで、免疫を作り出すというものです。

この方法は手軽で極めて効果が高かったため、世界的に広がっていきました。日本には、嘉永2年(1849)、に佐賀藩に伝わり、藩内で種痘を実施していました。

海外の学問に造詣の深かった江川太郎左衛門はこれを聞きつけると、いち早くこれを自分の領内でも普及させられないかと考えます。
まずは、自分の子供に実施し成功。さらに、部下の医師に命じ試験的な種痘を行わせて良い結果を確認し、その年のうちに代官領全域にお触れを発して領民にも実施させました。結果、領内における天然痘被害は激減したと言われています。

 江川太郎左衛門の精神を受け継いだ当院創設者・江川滉二東京大学名誉教授

この成果を幕府も認め、その後江戸お玉ヶ池に種痘所が設置され、江戸町民も種痘を受けるようになりました。なおこの種痘所は、明治維新後は新政府に引き継がれ、東京大学医学部の前身となりました。

当時の先端的医療である種痘の普及に尽力した江川太郎左衛門。そのひ孫である江川先生が、約150年後、これも先端治療である免疫細胞治療を自ら先頭に立って普及に努め、瀬田クリニックを創設したことは非常に感慨深い話です。

難病に立ち向かい、“世直し大明神”とも呼ばれた江川太郎左衛門の精神は、その子孫にも脈々と受け継がれているのですね。

良く見ると、少しお顔立ちも似ているような・・・?

  • 江川家36代当主 江戸幕府代官・江川太郎左衛門 重要文化財・江川邸HPより

    江川家36代当主
    江戸幕府代官・江川太郎左衛門
    重要文化財・江川邸HPより

  • 江川家41代当主 瀬田クリニック創設者・江川滉二

    江川家41代当主
    瀬田クリニック創設者・江川滉二

そんな江川太郎左衛門の生涯を描いた一冊、瀬田クリニック東京の本棚においてありますので、是非お読みください!

江川太郎左衛門の生涯を描いた一冊

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