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創設者・江川滉二東大名誉教授の“志”

コラム 先端治療の普及に情熱を注いだ江川先生の先祖・江川坦庵

江川先生は、鎌倉時代以来の歴史を誇る名門、江川家の第41代当主でもあります。江川家は江戸時代に伊豆韮山の代官を代々務めており、特に江川先生の曾祖父にあたる江川坦庵(江川英龍)は、幕末、幕府の代官として東京湾に台場を築いたり、反射炉(溶鉱炉)を作って銃砲製造を行ったりしたことで名高い人物です。

江川太郎左衛門(江川英龍・江川坦庵) 『重要文化財 江川邸』WEBサイトより

江川太郎左衛門(江川英龍・江川坦庵)
『重要文化財 江川邸』WEBサイトより

そんな数ある江川坦庵の業績の中でも見逃せないのが、天然痘に対する予防法の普及です。
天然痘(てんねんとう)は、伝染力が強いだけでなく罹患した場合の死亡率も高い伝染病で人々から非常に恐れられていました。当時の予防法としては、「種痘」(しゅとう)という手法が有効でした。種痘とは、牛のかかる痘瘡(牛痘)に感染した者が、天然痘に対して免疫を持つことに気づいたことから開発された方法で、牛痘に感染した牛から取り出したウィルスを人間に接種することで、免疫を作り出すという予防法です。

この方法は極めて効果が高く、また危険性も低かったため、世界的に広がっていきました。日本には、嘉永2年(1849)、佐賀藩主鍋島直正がオランダから輸入させた痘苗を用いて、藩内で種痘を実施していました。蘭学に造詣の深かった江川坦庵はこれを聞きつけると、いち早くこれを自分の領内でも普及させられないかと考えます。

まずは、自分の子供に実施し成功。さらに、配下の医師に命じ試験的な種痘を行わせて結果が良好であることを確認し、その年のうちに代官領全域に「西洋種痘法の告諭」を発して領民にも実施させました。結果、領内における天然痘被害は激減したと言われています。

この成果を幕府も認め、8年後には、江戸お玉ヶ池に種痘所が設置され、江戸町民も種痘を受けるよう勧告されました。なおこの種痘所は、名称変更を重ねながら維新後は新政府に引き継がれ、後に東京大学医学部の前身となりました。江川先生が、この場所でがん免疫学を研究していたことは何かの縁を感じます。

進取の気概を持って、当時の最先端医療である種痘の普及に尽力した江川坦庵。そのひ孫である江川先生が、約150年後、これも先端治療である免疫細胞治療を、治療がないと苦しむがん患者さんに提供しようと自ら先頭に立って普及に努めたことは、非常に感慨深い話です。

※江川家の邸宅は、その歴史的価値の高さから、1958年に国の重要文化財に指定されました。「重要文化財 江川邸」のWEBサイトはこちら

※江川坦庵が建設した「韮山反射炉」を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されることが2015年7月5日に決定致しました。

(参考)
人物業書 江川坦庵 吉川弘文館刊
重要文化財 江川邸 WEBサイト

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